犬の網膜剥離

人では、ボクシングをはじめとする格闘技で、網膜剥離のために引退した選手は少なくありません。初期の症状として有名なのが、明るいところや白い壁などを見たときに目の前に虫や糸くずのようなものが飛んで見えるのが飛蚊症です。

人と同様に犬にも存在する、網膜剥離について解説します。

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犬の網膜剥離とは

網膜剥離とは、眼球の内側にある網膜という膜が剥がれて、視力が低下する病気です。
網膜とは、目の中に入ってきた光を刺激として受け取り、脳への視神経に伝達する組織で、カメラでいうとフィルムのはたらきをしています。

犬の網膜の構造は、硝子体に接する内境界膜から最も外層の網膜色素上皮まで10層に分類されますが、網膜色素上皮以外の網膜層は感覚網膜と呼ばれ、外胚葉由来です。最も外層の網膜色素上皮は中胚葉由来であり、それらの間の接着は比較的弱いため、網膜剥離は主にその層の間に生じます。

犬の網膜剥離
眼球の内側にある網膜という膜が剥がれて、視力が低下する病気

原因

網膜剥離は、主に裂孔原性網膜剥離と非裂孔原性網膜剥離に分類され、この両者で病態や治療法が大きく異なります。裂孔原生網膜剥離の場合は、外科的治療が中心であり、非裂孔原生の場合は内科的治療が中心となる事が多いです。そして非裂孔原生網膜剥離は、さらに牽引性と漿液性に分類されます。

裂孔原生網膜剥離

網膜にできた裂孔や離断部位から、液化硝子体などの液化が網膜下腔に入り込むことで生じる網膜剝離です。硝子体変性、外傷、眼内手術などにより引き起こされています。近年の報告では、50.5%が原発性の網膜硝子体疾患、35.3%が水晶体手術、6.2%が過熟白内障が原因であったとされています。

裂孔原生網膜剥離の原因となる硝子体変性の好発犬種として、シーズー、ボストンテリア、プードル、ジャックラッセルテリア、イタリアングレーハウンド、ヨークシャーテリアが挙げられます。硝子体変性の発生機序は、硝子体はゲル状の構造物であり、眼球が動く際、網膜付近では眼球の動きに逆行する方向に硝子体が動きくことで乱流が生じ、その乱流が網膜の裂孔を引き起こし、さらに網膜下への液体の流入を生じて網膜剥離が進行するとされています。おもちゃで激しく遊び、首を振るような仕草は、硝子体と網膜の付着が最も強い部分や硝子体基底部で網膜裂孔を引き起こします。そして激しく首を振る犬種ほど網膜巨大裂孔を生じやすいとの報告があります。この硝子体変性は、好発犬種で加齢に伴い発症する他に、炎症や過熟白内障に伴う水晶体起因性ぶどう膜炎などにより発生します。

非裂孔原生網膜剥離

非裂孔原生網膜剥離は、牽引性と漿液性に分類されます。

牽引性網膜剥離は、炎症もしくはその他の原因により、硝子体や増殖膜が網膜色素上皮から感覚網膜を引っ張ることで生じる網膜剥離です。

漿液性網膜剥離は、感染、腫瘍、免疫介在性による網膜脈絡膜炎や、全身性高血圧などが原因で網膜下に滲出液や血液、細胞が貯留することにより引き起こされます。網膜から発生する炎症は多くないですが、脈絡膜から発生する炎症は様々な原因によって引き起こされ、密接している網膜炎を引き起こします。例えば、前部ぶどう膜炎が後部にも波及して脈絡膜炎と網膜剥離を引き起こす事も多いです。

全身性高血圧で網膜剥離が生じる原因として、眼は血管の分布が豊富な器官であり、高血圧の影響を受けやすいことが挙げられます。犬の収縮期血圧が180mmHg以上では高率に眼病変を発症し、収縮期血圧が160mmHg以上の犬でも42頭中24頭で網膜出血や剥離などの網膜病変がみられたとされています。高血圧の原因として、腎疾患、副腎皮質機能亢進症(クッシング症候群)、甲状腺機能亢進症、糖尿病、原発性アルドステロン症、クロム親和性細胞腫などが続発性高血圧症の原因として報告されていますが、これらの基礎疾患がない本態性高血圧症も報告されています。

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網膜剥離の症状

人の網膜剥離では、網膜の剥がれは痛みを伴わないため気付きにくいとされていますが、前兆として飛蚊症があらわれることがありるそうです。また、網膜の中心部である黄斑部分まで剥がれた場合、急激に視力が低下し、失明に至る恐れがあるとされています。

犬の場合には、局所性の網膜剥離では臨床症状がみられないことがあります。完全剥離の場合には、瞳孔が散大して固定され、対光反射は減弱するか陰性になり、視覚は喪失します。場合によっては、瞳孔を通して水晶体の後方に血管あるいは出血を伴う灰色から白色の膜(網膜)がみられることがあります。

症状のポイント
完全剥離の場合には、瞳孔散大、対光反射は減弱ないし陰性、視覚喪失

網膜剥離の診断

網膜剥離の診断では、眼底検査や超音波検査などを行います。

裂孔原生網膜剥離の場合では、眼底検査で硝子体側へめくれ込んできている網膜や、視神経乳頭からカーテン状に垂れ下がった網膜が確認できます。ただし、網膜裂孔はほとんどが辺縁部に存在するので、網膜裂孔を確認することは難しいとされています。

漿液性網膜剥離の場合では、網膜下腔に漿液が貯留することにより、網膜が風船状に膨らんだ状態になり、網膜の浮腫や出血を伴う事もこともあります。全域にわたる病変では、水晶体のすぐ後方まで網膜が変位することもあり、このような状態では瞳孔領にある血管を持った白く透明な膜として眼底鏡を用いなくても観察することができます。

漿膜性網膜剥離は様々な原因により引き起こされるため、血液検査、尿検査、感染症の検査、血圧測定などを行い基礎疾患の特定を試みます。しかし特定に至らない事も多く、この場合に免疫抑制量のグルココルチコイド(ステロイド)での治療を行うことがあります。この治療に良好な反応を示し、視覚を回復した場合にはステロイド反応性網膜剥離と診断されます。この病名には、病態が解明されていない免疫介在性疾患が含まれていると考えられています。

超音波検査は、小瞳孔や、角膜、水晶体、硝子体などの中間透光帯の混濁により眼底検査ができない場合、有用な検査です。裂孔原生網膜剥離では、網膜辺縁部が硝子体腔に浮き上がっている状態や、視神経乳頭から垂れ下がっている状態がみられ、漿液性網膜剥離では、視神経乳頭と鋸状縁以外の部分では全て剥離して、カモメのような像がみられます。

診断のポイント
眼底検査や超音波検査、漿液性網膜剥離では基礎疾患の特定

網膜剥離の治療

裂孔原生網膜剥離に対しては外科的治療が、非裂孔原生網膜剥離(漿液性網膜剥離)に対しては内科的治療が中心となります。

裂孔原生網膜剥離

全剥離にまで達した場合、網膜復位術という特殊な器具と高度な技術を要する手術が必要となります。そのため、全剥離に至る前の小さな網膜裂孔や部分剥離の段階で何らかの手術を実施し、剥離の進行を可能な限り抑えることが重要となります。強膜バックリング、気体網膜復位術、経瞳孔網膜レーザー凝固が報告されていますが、近年では経瞳孔網膜レーザー凝固術が用いられることが多いです。この手術は、瞳孔から網膜の穴にレーザーを照射し焼き付ける方法で、処置により裂け目の周囲の網膜とその下の組織がくっつくため、網膜が剥がれにくくなります。

広範囲の剥離の場合、具体的には90°以上の巨大裂孔では、硝子体手術による網膜復位術が必要になります。これは広範囲の網膜剥離で唯一視力を回復させる可能性のある方法ですが、実施可能な施設は限られています。この手術に関して、近年では比較的良好な視覚回復率がみられているようです。

網膜剥離を無治療のまま放置した場合、高い確率で続発性ぶどう膜炎続発性緑内障が発症し、眼の痛みを引き起こす原因となることが報告されています。抗炎症薬や抗緑内障薬を予防的に使用することで、若干それらの発症率が低下するとされていますが、最終的には眼内シリコン義眼術や眼球摘出術が必要となってします場合が多いです。

漿膜性網膜剥離

網膜剥離を引き起こしている基礎疾患を治療します。

全身性高血圧は、1週間の間を空けて2回の血圧測定で収縮期血圧が150mmHg以上、拡張期で95mmHg以上で診断されることが多いですが、眼病変や神経病変がみられる場合には、1回でも高血圧が測定されたならばすぐに治療を開始する場合があります。これは、初期に緊急治療を開始できればかなり高確率に視覚を回復することができるからです。治療開始後、効果の判定や低血圧(収縮期血圧が120mmHg以下)や、その副作用がないか確認します。網膜が復位するまではなるべく早期に血圧を低下させる必要がありますが、復位した後は徐々に血圧を低下させればいいと考えられています。治療目標として、収縮期血圧150mmHg以下および拡張期血圧95mmHg以下が推奨されています。

全身性高血圧の治療薬として、カルシウムチャネルブロッカーが高血圧を引き起こしている基礎疾患に関係なく血圧を低下させ、副作用も稀であるため、用いられることが多いです。

また、カルシウムチャネルブロッカーのみで血圧のコントロールが十分でない場合には、ACE阻害薬を追加することがあります。

また前述の通り、種々の検査を実施したにも関わらず網膜剥離を引き起こす基礎疾患が不明の場合には、ひとまずステロイド反応性網膜剥離と仮診断し、免疫抑制量のグルココルチコイド(ステロイド)での治療を行うことがあります。

治療のポイント
裂孔原生網膜剥離に対しては外科的治療、非裂孔原生網膜剥離(漿液性網膜剥離)に対しては内科的治療

予後

網膜剥離を引き起こした基礎疾患、網膜剥離の期間、範囲、剥離の種類によって予後は異なります。局所性の網膜剥離で、基礎疾患が治療され再発がない場合は一般的に予後は良いとされています。しかし、完全な網膜剥離では視覚予後には注意が必要です。

まとめ

犬の網膜剥離について解説しました。網膜剥離が生じると直ちに不可逆的な網膜変性が生じるため、可能であれば原疾患に対しての迅速な診断と治療が重要です。

硝子体変性の好発犬種では、おもちゃで激しく遊び、首を振るような仕草が網膜裂孔を引き起こすとされているので注意が必要です。